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幼少期よりアトピー性皮膚炎で苦しんできました。
小学生低学年くらいまではクラスで一番の快活明朗な子でしたが、高学年になるにつれ、自分の肌にコンプレックスを持つようになり、次第に人生が暗転化していきました。

ある日、初恋の人に「肌が気持ち悪い」と言われたことをきっかけに、人様の前で肌の露出を極力避けるようになりました。大好きだったクラブ活動を辞め、友達とプールや海へ行くこともできなくなりました。そうこうしているうちに、周りと馴染めなくなり、不登校気味になっていきました。

そんなとき、初めて皮膚科を受診しました。
これが私の人生を大きく変えたのです。
どん底に落ちかけていた私を奈落の底に突き落とし、深い闇へと誘ったのです。

受診したのは◯◯泌尿器科・皮膚科という近所のクリニックでした。
今考えれば絶対に受診するべきでないと名前だけで分かるのですが、当時はそんな知識があるわけもなく・・・。

診察室に入るとすぐに、

「アトピー性皮膚炎で間違いないですね。一生治りませんよ」

と医師から告げられました。
「一生治らない」という言葉が子供の私には重くのしかかり、胸が引き裂かれそうでした。

その後、
「ステロイドは悪魔の薬だから塗らない方がいい。この程度は我慢しなさい」
と言われ、処方はなにもありませんでした。

その後数年間、生きているだけで精一杯という日々が続きます。
かゆみが止まらず、夜はまともに眠れたことがありませんでした。日中は常に眠気がつきまとい、何をするにも覇気がない状態となり、先生や家族からは「やる気のない子」というレッテルを貼られ、誰にも相談できない状況が続きました。

医師から「この程度は我慢しなさい」と言われれば、
我慢できる程度のものと周りからは認識されますし、私自身も自分がダメなのだと自己嫌悪に陥るのみでした。
アトピーさえ無ければ・・・と何度思ったかは分かりませんが、言い訳するのは嫌だったので、口にすることはありませんでした。
中学はいじめを受けたこともあり、ほぼ不登校となっていました。

高校生になる少し前、にきびが目立つようになってきました。
アトピーの辛さに比べたら・・・という感じはありましたし、正直もう二度と病院など行きたくないと思っていたのですが、悪化したら嫌だなという思いもあり、人生二度目のクリニック受診を決めました。

決意した日、近所にある◯◯泌尿器科・皮膚科は休診日でした。
そのため、少し離れた△△皮膚科クリニックを受診することにしました。
これが人生2回目のターニングポイントとなったのです。

にきびの相談に来たのですが、女性の先生からすぐに

「アトピーのコントロールはどうしているの?」

と言われました。
前述のエピソードを話すと、鬼のような形相になりながらも、うっすらと涙目になりながら

「・・・辛かったわね。もう大丈夫だから」

と言われました。
私としては、「なにが大丈夫?」「なぜ怒っている?」「なんで涙目?」と頭の中がグルグルしたのを今でも鮮明に覚えています。

詳細はさらに長くなってしまうため、また別の機会にお話したいと思いますが、ここからアトピー性皮膚炎の治療が始まり、私の人生が劇的に変わったのでした。

アトピー性皮膚炎はまだ完治していませんが、今では人前にでることを厭わないですし、失われた青春時代を取り戻すかのように、人生を最大限謳歌しています。
その後は美容と育児に目覚めたオタクと化しています。

肌トラブルはメンタルや人生に多大な影響を及ぼす

私の原体験から、皆さんにとって役立つような情報を発信していきたいと思います。
全国向けではありませんし、正直過ぎて少し過激な文章もあるかと思いますが、藤沢にゆかりのある方々が喜んでもらえると嬉しいです。

長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!